社会福祉法人 擁童協会 法人の概要と歴史

法人の概要と歴史

清水育児院の写真
慈眼・童眼 JIGEN-DOUGAN

慈眼(じげん)とは仏たちのいつくしみのこもった慈悲の眼であり、童眼(どうがん)は子供たちの純粋無垢な眼を意味しています。

「慈とはあらゆる人に平等にそそがれる大いなる愛情であり悲とは他人の嘆きを自らも共に深い理解を生ずることである。新しい時代に美しく見開いた「慈眼・童眼」は、子供たちが何を見、何を感じ、何を求めているかを知ることからはじまる。」

第3代理事長 河瀨定行

法人の概要
創設 1900年 明治33年
本部 岐阜県揖斐郡大野町寺内624番地(大野慈童園)
組織 理事 6名
評議員 7名
監事 2名
施設 児童養護施設 大野慈童園
幼保連携型認定こども園 大野保育園
障害者支援施設 西濃向生園(生活介護、施設入所支援)
障害者支援施設 西濃サンホーム(生活介護、施設入所支援、相談支援、地域生活支援)
創設者 多田順映(明治33年~大正12年)
2代目理事長 河瀨治定(大正12年~昭和21年)
3代目理事長 河瀨定行(昭和21年~昭和61年)
4代目理事長 河瀨法定(昭和61年~平成8年)
5代目理事長 河瀨ちゑ(平成8年~平成13年)
6代目理事長 本持榮一(平成13年~平成24年)
7代目理事長 河瀨治行(平成24年~)
法人の歴史
明治33年・1900年 多田順映、岐阜県仏教進徳会の設立願いを県知事に提出し清水育児院を設立する。
孤児3名を収容する。
明治39年・1906年 財団法人・清水育児院を設立する。
私立倶楽部小学校を開設する。
明治42年・1909年 豊木村(大野町)に県代用感化院・清水育児院付属豊富学院を設置する。
明治44年・1911年 育児部を豊木村に移転する。
大正12年・1926年 私立倶楽部小学校を廃止する。
多田順映死去。第2代目理事長に河瀨冶定院長が就任する。
昭和10年・1935年 豊富学院を移管し県立岐阜学院とする。
昭和11年・1936年 院内に保育部を開設し地域の幼児を保育する。
昭和19年・1944年 財団法人・擁童協会と組織変更をする。
昭和20年・1945年 戦災孤児の収容を開始する。
昭和21年・1946年 豊木村に大野保育園を新築開園する。
第2代理事長・河瀨冶定死去、第3代理事長に河瀨定行が就任する。
昭和25年・1950年 精神薄弱児職業指導部として鋳物工場を新築、事業開始する。
昭和27年・1952年 社会福祉法人 擁童協会に組織変更する。
昭和29年・1954年 養護施設名を大野慈童園と改称、認可される。
昭和43年・1968年 創立以来物故園児の墓「蓮生碑」を建立する。
精神薄弱児職業指導部を閉鎖する。
昭和45年・1970年 創立70周年記念式典を開催する。
創立70周年記念同窓会が発足する。
昭和49年・1973年 同窓会事業として、大野慈童園運動場造成事業が完成する。
昭和56年・1980年 創立80周年記念式典を開催する。
昭和57年・1981年 精神薄弱者更生施設 西濃向生園を新築し事業を開始する。
昭和61年・1985年 第3代理事長・河瀨定行が死去。第4代理事長に河瀨法定が就任する。
平成 8年・1996年 第4代理事長・河瀨法定が死去。第5代理事長に河瀨ちゑが就任する。
平成12年・2000年 創立100周年記念として記念誌「慈眼童眼」を発行する。
身体障害者療護施設 西濃サンホームを新築し事業を開始する。同時に身体障害者デイサービスセンター、障害者生活支援センターの事業を開始する。
平成13年・2001年 第5代理事長・河瀨ちゑが辞任・第6代理事長・本持榮一が就任する。
平成15年・2003年 大野慈童園全面改築事業が完了する。
平成21年・2009年 大野保育園全面改築事業が完了する。
平成24年・2012年 第6代理事長・本持榮一が辞任。第7代理事長・河瀨治行が就任する。